
年賀切手を飾った二人の男~渡辺崋山と円山応挙
年賀切手。それは一年の始まりを記念する切手のことです。
主に東アジア圏で発行される傾向があり、ヨーロッパではクリスマス切手が発行されるようです。
日本も年賀切手の例外ではなく、その歴史は長いです。
干支の動物をあしらったものが多く、コレクターを中心に広く愛されています。
その中でも、戦前と戦後を代表する二つの年賀切手を、それにまつわる二人の人物の生涯と絡めて、紹介いたします。
年賀切手誕生~最初を飾った男、渡辺崋山とは!?
年賀切手 渡辺崋山 |
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一年の初めを祝う年賀切手が日本で初めて発行されたのは1935年12月のことで、翌1936年の年賀を祝うためのものでした。
「昭和十一年年賀用切手」と称されたその切手は、一面に富士山、周りには松・竹・梅が飾られ、そして上には皇室を象徴する菊の花、という日本の切手らしい構成でした。
さて、その富士山の絵にはモデルがあることをご存知でしたでしょうか。
渡辺崋山(わたなべかざん)という江戸時代に活躍した人物が天保年間に描いたとされる『富嶽図(ふがくず)』というものです。
歴史を勉強した人ならば、「蛮社の獄」という弾圧事件で捕まり、死刑に処された蘭学者であると認識しているのではないかと思います。
渡辺崋山の生涯
しかし、彼の生涯はそれだけでは語りつくせない魅力であふれています。
「崋山」という名は文化人としての号であり、登(のぼり)というのが本名になります。
生まれ
1793年、彼は田原藩(現在の愛知県田原市)の武士階級に生まれました。
何不自由なく育った・・・わけではなく、その人生は苦労に満ちていました。
病弱な父親の少ない禄、そして藩の事情による減俸などによりその生活は困窮を極めていました。
とにかく、いまを生きるためには食べていかなければならない、そう考えた渡辺は得意の絵で食べていこうと考え、当時の有名画家であった谷文晁(たにぶんちょう)に弟子入りしました。
そして20代後半にして、渡辺は有名画家の仲間入りを果たしました。
政治家として
また、渡辺は、政治家としても抜群の指導力を発揮しました。
田原藩の家老として、藩政改革を実施、農業政策や人事制度、飢饉対策などで常識にとらわれない柔軟なアイデアを次々と提案し、危機を切り抜けました。
そもそも、渡辺は勉強熱心な人物で、画家としての活動の傍らで、朱子学や農学に励んでいました。
学校で習った「蘭学者」というのは画家・政治家など多才な渡辺の一面に過ぎないのです。
尚歯会(しょうしかい)に参加
やがて、渡辺は日本の海防について論ずる人々のネットワークである「尚歯会(しょうしかい)」に参加しました。
主なメンバーには、町医者にして蘭学者の高野長英、西洋流砲術を導入したことから幕末志士たちがこぞってその講義を受けた江川英龍(太郎左衛門)、ペリーやハリスなど外国使節との交渉で実力を発揮した川路聖謨とそうそうたるものでした。
当初は飢饉対策のための話し合いの場でしかなかった尚歯会は会合を重ねるごとに話題が国防へとかわっていきました。
『慎機論』を書く
そんな中、渡辺は『慎機論』を書きました。
これは「モリソン号事件」に義憤した渡辺による、江戸幕府の対外政策を批判したものでした。
「モリソン号事件」とは、日本人漂流民を乗せたアメリカの商船に、幕府の砲台が攻撃を加えた事件です。
敵意のなかった異国船に対して、「異国船打払令」を採用した幕府の判断は国内から大きなバッシングを受けたのです。
渡辺は、自ら公開しなかったのですが、幕府内の政争に巻き込まれる形で『慎機論』は幕府の知れるところとなりました。
一藩の家臣による幕府批判は問題となり、渡辺は蟄居を命じられました。教科書にも載っている「蛮社の獄」です。
49年の生涯に幕
そして2年後、渡辺は自ら切腹、49年の生涯に幕が下ろされました。
渡辺の絵が年賀切手に選ばれた背景としては、当時の学校教育が関係していることが予想されます。
実は、少年時代の渡辺が困窮にあえぎながらも勉学に励んだという話が、修身の教科書に記載されていたのです。
つまり、1935年の時点では、渡辺は現代よりも知名度が高かったのです。
こうして、年賀切手の歴史が始まったのですが、実は戦前においてはこの一回限りとなります。
背景としては日中戦争の勃発にともなう年賀状の自粛ムードでした。
年賀切手の再開~円山応挙のトラ~
年賀切手 円山応挙 |
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戦後になると、年賀切手は再開されました。
1950年のことです。描かれたのは一匹のトラです。
「昭和25年用年賀 円山応挙のトラ 」という名のこの切手、モチーフとなったのは江戸時代に活躍した画家、円山応挙(まるやまおうきょ)という人物の屏風絵です。
画家の勃興が激しかった江戸時代において、一際異彩を放ったこの人物の生涯を辿っていきましょう。
生まれ
1733年、穴太村(現在の京都府亀岡市)で生まれた円山は、京都に出て、石田幽汀(いしだゆうてい)の門下に入りました。
石田は当時の最大勢力である狩野派の流れを汲んだ禁裏御用絵師でした。
円山は狩野派から絵画の基礎を学んだのです。若き丸山にとって一番の経験は眼鏡絵(めがねえ)との出会いでした。
海外から流入されたもので、「からくり箱」というレンズがついた箱に挿入し、レンズを通して奥行きを楽しむための絵でした。
玩具商で働いていた円山は独自で眼鏡絵の作成に取り組み、玩具商も輸入以外の眼鏡絵のレパートリーを増やすため、それの後押しをしました。
眼鏡絵は大ヒットし、円山は売れっ子画家になりました。
この眼鏡絵を通して、円山は遠近法の画法に磨きをかけていきました。
パトロンの登場
やがて、円山に二つのパトロンがつくことになりました。
一つ目は円満院という天台宗系の門跡寺院(皇族・公家が住職を務める寺院)、二つ目は豪商の三井家です。
特に三井家は4代目当主の高美(たかよし)が借財をするほど美術品集めに没頭しており、円山にも多額の投資をしていました。
余談ですが高美は浪費生活がたたって、隠居の身である3代目当主の高方(たかかた)の一声によって当主の座を下ろされてしまいした。
それでもなお浪費癖は治らなかったことから、最後には三井家と絶縁状態まで追い込まれてしまいました。
晩年
円山の画風における最大の特徴は「写生」すなわちスケッチを重要視したことです。
円山は写実的かつ印象的な作品作りを心掛けました。
この繊細かつ大胆な画風は多くの人々、とくに一般大衆に受け入れられました。
晩年の円山には多くの弟子が入門しており、やがて「円山派」が形成され、1795年に死去するころには一大勢力が出来上がっていました。
今回の切手は、円山による「虎」ですが、彼は「虎」の絵が得意だったと言われています。
そもそも、日本人は実物の虎を見る機会はなく、専ら毛皮をみるだけでした。
つまり、リアルな虎を描くことなど本来は不可能なのです。
しかし円山は実態に近づけて描こうと、毛皮の研究や猫の習性を調べるなどの努力を欠かしませんでした。
実際に毛皮を写生した作品もあります。その努力の甲斐もあってか、虎描きの名手としても円山は名を馳せました。
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